俗悪で愚にもつかぬ空想話を避けなさい。むしろ、敬虔のために自分を鍛錬しなさい。(テモテへの手紙第一4章7節)
1.コリント人への手紙第一9章24節ー27節
2.テモテへの手紙第一1章3節ー7節
3.テモテへの手紙第一6章2節ー6節
4.ペテロの手紙第二1章2節ー10節
箴言27章1節が「あすのことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないからだ。」と語っています。昨日午後4時ごろ宮崎沖で起きた震度6の地震が一瞬のうちに起きたように、いつ何が起こるのかもわからない中、人は想像力を働かせてさまざまなこと予想し、想定しながら生きているのではないでしょうか。約束の地を偵察に行った者のうち神と神の約束を考慮しなかった者が想像力を働かせて「私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」と語ったことによって全会衆は大声をあげて叫び、その夜泣き明かし、モーセとアロンに「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに、できれば、この荒野で死んだほうがましだ。なぜ主は、私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。私たちの妻子は、さらわれてしまうのに。エジプトに帰ったほうが、私たちにとって良くないか。」などと話し、「主にそむいてはならない。」と勧告したヨシュアとカレブを石で打ち殺そうとしたように、見かけで判断し、想像力を働かせて、空想話をしてしまう可能性があるのではないでしょうか。パウロは「俗悪で愚にもつかぬ空想話を避けなさい。むしろ、敬虔のために自分を鍛錬しなさい。」とテモテに勧めています。自分の思いや考えで予想するような生き方ではなく、永遠の方であり、すべてのことをご存知なだけでなく全てのことを益としてくださる主を信頼して生きようではありませんか。