小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。(ルカの福音書12章32節)
1.マタイの福音書6章19節ー34節
2.マタイの福音書7章13節ー14節
3. ピリピ人への手紙3章17節ー4章1節
4.ペテロの手紙第一1章3節ー4節
イエス様は、人々に「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」と仰せられるとともにたとえ話として、畑が豊作になったので新しい倉を建てて「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物が貯められた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ」と言った金持ちに対して神は「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、お前が用意した物は、いったいだれの者になるのか。自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」と話されてから、「何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。」と、「これらの物」すなわちこの世で生きるために必要なものを与えてくださる神との関係に目を留めるように勧めてから、「小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。」と仰られました(マタイの福音書6章にも同じ記事がありますが、ルカの福音書にしかありません)。イエス様は「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」と仰られるとともにご自身を「門」と言われました。ですからキリスト者を意味するのではないでしょうか。私たちは世の人々同様不安になったり、恐れたり、思い悩んだりしますが、神は私たちの状態や何が必要なのかをご存知なだけでなく、すべてのことを益としてくださる方であり、永遠のいのちを与えてくださっていることを忘れず、主を信頼し、主に委ねる信仰をもって歩もうではありませんか。