神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしてくださるのです。(ローマ人への手紙8章33節ー34節)

1.詩篇110篇1節-4節
2.使徒の働き7章46節ー60節
3.テモテへの手紙第一2章1節ー6節
4.ヘブル人への手紙1章1節~3節

パウロは自分の中に罪があることを見出し、「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。(ローマ人への手紙7章18節ー24節)」と、苦悩されましたが、「今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。(ローマ人への手紙8章1節)」と、救いがキリストにあることを見出し、「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしてくださるのです。」と、他者であろうと自分であろうとだれもキリスト者を罪に定めることはできないことを語っています。興味深いことに昇天されたイエス様は神の左でなく右の座に着かれている、と度々書かれています。パウロは「神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。(エペソ人への手紙1章20節ー21節)」と語っています。「右に並ぶ者はいない」という言葉があります。イエス様の右に並ぶ者はいないことを、パウロのようにどんなことをもってしてもキリスト・イエスにある神の愛から引き離されることがない(ローマ人への手紙8章33節ー39節)、という確信をもって生きようではありませんか。