神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子の御支配の中に移してくださいました。この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。(コロサイ人への手紙1章13節ー14節)
1.使徒の働き26章9節ー20節
2.ローマ人への手紙5章17節ー21節
3.エペソ人への手紙2章1節ー19節
4.ヘブル人への手紙10章1節ー18節
パウロは神に対して熱心でしたが、自分の義に生きていたために、神が罪人を救うために御子イエス様を人としてこの世のお遣わしになられたことがわからず、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考えてキリスト者を迫害していたのですが、「わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせるためである。」と、キリスト者を迫害するために向かって行ったダマスコの途上でイエス様から声をかけられたのでした。キリスト者となったパウロは自分の中に罪があることを、自分のみじめさを知り悩みましたが、解決がキリストにあることを、行いによるのではなく恵みによって救われること(エペソ人への手紙2章8節)、キリスト・イエスにある神の愛を知る者となり、パウロは「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。(ローマ人への手紙5章20節)」と、ヨハネは自分の心が責めても神の御前に心を安らかに生きるように勧めています(ヨハネの手紙第一3章18節ー20節)。今日の聖句「神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子の御支配の中に移してくださいました。この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。」を心に据えて、落ち込むようなことがあっても、自分を責めるよりも贖われていることを思い起こし、主を誉めたたえるようにしようではありませんか。