人の高ぶりはその人を低くし、心の低い人は誉をつかむ。(箴言29章23節)

1.列王記第一3章3節ー13節
2.ダニエル書4章13節ー37節
3.マタイの福音書23章1節ー12節
4.ルカの福音書18章9節ー14節

人は、とかく他者と自分を比較し、相手によって高ぶったり、自分を卑下したりするような生き方をしてしまうのではないでしょうか。イエス様は自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対して「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは主税人であった。パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」とたとえ話をもって注意されたのでした。パウロはキリスト者になる前は自分を誇っていましたが、キリスト者となったパウロは自分のみじめさを知りましたが、その一方で、恵みとまことを実現されたキリスト・イエスにある神の愛がどのように偉大なものであるかを悟ったのでした。今日の聖句は「人の高ぶりはその人を低くし、心の低い人は誉をつかむ。」と語っていますが、心の低い人とは、神の前に自分を低くする人であって卑下することではないのではないでしょうか。神が高ぶっている人を低くされるのは、パウロのように自分の弱さを教えるだけでなく、神の恵みや愛を知り、神から称賛される者(コリント人への手紙第一4章5節)となるためであることを忘れずに、どんなことも益としてくださる主を誉めたたえながら生きようではありませんか。