神は、一度告げられた。二度、私はそれを聞いた。力は、神のものであることを。(詩篇62篇11節)

1.ルカの福音書24章44節ー49節
2.エペソ人への手紙1章17節ー21節
3.ピリピ人への手紙4章 12節ー13節
4.ペテロの手紙第二1章2節ー3節

主は「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな(エレミヤ書9節23節)。」と語っているのは、人の力と神の力には天と地ほどの違い、雲泥の差があるからではないでしょうか。イエス様は昇天される前、弟子たちに「さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。(ルカの福音書24章49節)」と、そしてその力について「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。(使徒の働き1章8節)」と仰せられ、主が仰せられたようにペンテコステの日に聖霊が下り、聖霊に満たされたペテロと弟子たちはもはや人を恐れず大胆に福音を語り教会が生まれたのでした(使徒の働き2章1節ー42節)。聖霊に満たされ、キリストは神の力であり神の知恵であることを知ったパウロは(コリント人への手紙第一1章24節)「神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるのかを、あなたがたが知ることができますように。(エペソ人への手紙1章19節)」とエペソの聖徒たちのために祈られました。巨人ゴリアテは自分の力を誇りましたが、ダビデは万軍の主の御名によって立ち向かい石一個で勝利したのでした。力は神のものであることを、キリストは神の力、神の知恵であることを心に据えて(コリント人への手紙第一1章24節)、主の御名をもって祈る時、神の力が働かれることを忘れずに祈ろうではありませんか。