神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。(伝道者の書3章11節)
1.ヨハネの福音書7章25節ー36節
2. 使徒の働き1章3節ー11節
3.ローマ人への手紙11章25節ー36節
4.ペテロの手紙第二3章3節ー14節
主から知恵の心と判断する心を与えられたソロモンは(列王記3章11節)「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜く時がある。」と、人が一生の間経験する両極端を語ってから(伝道者の書3章1節ー8節)、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」と語っていますが、人が経験する時というものは一日24時間、一年は365日という有限なものですが、主は永遠の方であり、時間に制限されるような方ではないので、神の時の時は「エーマ」と言い、時間で計ることのできない時で、突如として、速やかに事をなしてくださることを意味します。ですからペテロは「主の御前では一日は千年のようであり、千年は一日のようです。(ペテロの手紙第二3章8節)」と語っているのではないでしょうか。パウロが「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ人への手紙8章28節)」と語っているように、私たちが「どうして」と思うような事も、どんなことも神は神の時に益としてくだる、すなわち、美してくださることを心に据えて心のうちを正直に主に申し上げるとともに、主に期待し、主の時を待ち望んで生きようではありませんか。