人は悪をもって身を堅く立てることはできず、正しい人の根はゆるがない。(箴言12章3節)

1.詩篇37篇1節ー15節
2.詩篇73篇箴言24章19節ー20節
3.ローマ人への手紙11章2節ー18節
4.ヘブル人への手紙13章5節ー9節

アサフは「まことに神は、イスラエルに、心のきよい人たちに、いつくしみ深い。しかし、私自身は、この足がたわみそうで、私の歩みは、すべるばかりだった。それは、私が誇り高ぶる者をねたみ、悪者の栄えるのを見たからである。」と語ってから、悪者は「どうして神が知ろうか。いと高き方に知識があろうか。」などと言って「いつまでも安らかで富を増している」と言い、自分の生き方にむなしさを覚えるような状態に陥りましたが、「私は、神の聖所に入り、ついに、彼らの最後を知った。まことに、あなたは彼らをすべりやすい所に置き、彼らを滅びに突き落とします。」と、今日の聖句が「人は悪をもって身を堅く立てることはできず」と語っているように、自分の犯した悪によって滅ぼされてしまうことを悟ってからを「私の心が苦しみ、私の内なる思いが突き刺されたとき、私は愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。あなたは、私を諭して導き、 後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。」と語っています。イエス様は岩の上に家を建てる人と砂の上に建てる人との違いを語られました(マタイの福音書7章24節ー29節)。イエス様を土台として生きている人とそうでない人とは、試練に会った時、死が近づいた時その違いがでてくるのではないでしょうか。私たちを支えてくださっている根は全能者であり恵みとまことに満ちておられるキリストであることを忘れずにパウロが「キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、溢れるばかり感謝しなさい。(コロサイ人への手紙2章7節)」と勧めているように生きるようにしようではありませんか。