天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。(伝道者の書3章1節)

1.伝道者の書9章11節ー12節
2. 使徒の働き1章3節ー11節
3.ヤコブの手紙1章2節ー4節
4.ペテロの手紙第一5章7節ー10節 

神から知恵の心と判断する心を与えられたソロモンは「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」と語ってから、すべての人はこの世の生まれてからこの世を去るまでの間、「泣くのに時があり、微笑むのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。・・黙っているのに時があり、話をするのに時がある。・・愛するのに時があり、憎むのに時がある」と、その他にも14個の両極端の出来事をあげ、その両極端の間を経験しながら生きていることを語るとともに「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」と、神の時があることを、人には永遠が与えらているにもかかわらず、パウロが「ああ、神の知恵と知識との富は、何とそこ知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。」と語っているように、神のなさることを理解できませんが、神がすべてのことを働かせて益としてくださる時があることをパウロは知っておられたのでした(ローマ人への手紙8章28節)。主は贖われた者とどんな時にもともにいてくださることをイザヤ書43章1節ー3節で語っています。ダビデが「私は多くの者のそしりを聞きました。『四方八方みな恐怖だ』と。彼らは私に逆らって相ともに集まったとき、私のいのちを取ろうと図りました。」と語ってから「しかし、主よ。あなたに信頼します。私は告白します。『あなたこそ私の神です。私の時は、御手の中にあります。(詩篇31篇13節ー15節)」と語っているように、どんな時にも、この世で経験するどんなことも益としてくださる主であることを忘れず、主を信頼して生きようではありませんか。