すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。(ヤコブの手紙1章17節)
1.マタイの福音書7章7節ー11節
2.ヨハネの福音書14章16節ー27節
3.ローマ人への手紙6章17節ー23節
4.ヤコブの手紙3章13節ー17節
ヤコブは「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。」と警告しているのは、主から善悪の知識の木から取って食べないように、という警告を直接聞いていなかったエバはサタンの偽りのことばを信じて善悪の知識の木から取って食べてからアダムに渡したので、アダムは神の警告を無視して食べてしまい、そのことを主から指摘されると「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」と、謝罪するよりも神とエバに責任転嫁したことを踏まえて語っているのではないでしょうか。その後で「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。」と語っているように、神は御子イエス様を人としてこの世にお遣わしになり、十字架の死と復活をもって、死の代わりに永遠のいのちを与えられただけでなく、助け主である聖霊を与えてくださったのでした。ヤコブが語っているように私たちは多くの点で失敗して後悔の念に悩まされることがありますが、ヘブル人への手紙4章16節が勧めているように、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に出て、贖われていること、神の子とされていることを感謝するとともにパウロのようによみがえられたイエス様がとりなしていてくださることを忘れずに、どんな被造物も私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできない、と言う確信を持つようにしようではありませんか。