聞け。主が町に向かって叫ばれる。ー御名を恐れることが優れた知性だ。ー(ミカ書6章9節)

1.詩篇86篇6 節ー12節
2.ルカの福音書10章17節ー20節
3.使徒の働き4章5節ー31節
4.ローマ人への手紙10章1節ー13節

イエス様が昇天され聖霊が下り聖霊に満たされたペテロが生まれつき足のなえた人に「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、彼の右手を取って立たせると、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりと一緒に宮に入って行ったののでした。それを見た人々にペテロはピラトが釈放すると決めたイエス様を面前で拒み、そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、いのちの君を殺しましたが、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせたこと、そして彼がいやされたのはそのイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえであり、しかもそのその信仰はイエスによって与えられるものであることを語ったのでした。しかし、ペテロとヨハネが死者の復活について民に話していたことが問題になって、捕えられ、民の指導者、長老、学者、大祭司や大祭司の一族が集まっている中で「あなたがたは何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか」との尋問に「この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死人の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。・・この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」と弁明したのですが、彼らは箴言21章30節が「主の前では、どんな知恵も英知もはかりごとも、役に立たない。」と語っているように、残念ながらそのメッセーを受け取ることができずにいっさいイエスの名によって語ったり教えることを禁じたのでした。今日の聖句が「御名を恐れることが優れた知性だ。」と語っているように、ペテロは無学で普通の人でしたが、彼らよりも優れた知性が与えられたのでした。優れた知性が与えられていることを感謝しようではありませんか。