私たち、すなわち、私とシルワノとテモテとが、あなたがたに宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、「しかり」と同時に「否」であるような方ではありません。この方には「しかり」だけがあるのです。神の約束はことごとく、この方において「しかり」になりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。(コリント人への手紙第二1章19節~20節)

1.ルカの福音書24章13節ー29節
2.ヨハネの福音書1章14節ー17節
3.ヨハネの福音書14章16節ー26節
4.使徒の働き1章8節ー14節及び2章4節

イザヤ書55章19節ー20節は「雨や雪が天から降って元に戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰って来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送ったことを成功させる。」と、神のことばの確かさを語っています。ところで、ヨハネの福音書1章1節が「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」と、そして 同章14 節が「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」と、またイエス様ご自身が「わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行うためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行うためです。(ヨハネの福音書6章38節)」と、またパウロが「私たち、すなわち、私とシルワノとテモテとが、あなたがたに宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、『しかり』と同時に『否』であるような方ではありません。この方には『しかり』だけがあるのです。神の約束はことごとく、この方において「しかり」になりました。それで私たちは、この方によって『アーメン』と言い、神に栄光を帰するのです。」と語っているように、神のことばと神の約束はイエス様によって実現したのでした。イエス様は弟子たちに「さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまで、都にとどまっていなさい。」と話されましたが、何日後とは教えませんでした。イエス様が昇天されてから十日後の五旬節の日に聖霊が下りました。主の約束は主の時に必ず成就することを、私たちは真実でなくても恵みとまことに満ちておられるイエス様は常に真実な方であることを忘れずに主を信頼し、主を誉めたたえて生きようではありませんか。