主の栄光が東向きの門を通って宮に入って来た。霊は私を引き上げ、私を内庭に連れて行った。なんと、主の栄光は神殿に満ちていた。(エゼキエル書43章4節ー5節)

1.歴代誌第二5章11節ー14節
2.詩篇150篇1節-6節
3.コリント人への手紙第一6章19節ー20節
4.ヘブル人への手紙13章7節ー15節

主はヤコブがラケルを愛し、レアがきらわれているのをご覧になられ、レアに子を授けられたのですが、彼女は三人の男の子を産むたびに彼女が求めていたのはヤコブの愛でした。しかし、四人目を生んだ時、彼女はヤコブの愛を求めたのではなく「今度は主をほめたたえよう。」と言って、ユダと名づけたように(創世記29章31節~35節)、ユダは神への感謝と賛美をあらわす賛美者を意味します。詩篇22篇3節に主はイスラエルの賛美を住まいとしておられる、とあります。詩篇100篇3節ー4節に「知れ。主こそ神。主が私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、入れ。」と勧めています。今日の聖句は「主の栄光が東向きの門を通って宮に入って来た。霊は私を引き上げ、私を内庭に連れて行った。なんと、主の栄光は神殿に満ちていた。」と、神殿に満ちている主の栄光は東向きの門から入ってく来た、とあります。ダビデはユダ族でしたからイエス様はユダ族の出でありご自身を門と言われました。約束の地に向かって荒野を旅する道中、主はモーセに東側に宿営する者はユダ部族、すなわち賛美者であるように指示されました(民数記2章3節)。ヘブル人への手紙13章15節は「私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えず捧げようではありませんか。」と、パウロは私たちは聖霊の宮であるから主の栄光を現すように勧めています。試練の中にある時にこそ、私たちの身代わりになってくださったイエス様を仰ぎ見て感謝と賛美を捧げ、主の栄光を現そうではありませんか。