満ち足りる心をともなう敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。(テモテへの手紙第一6章6節)

1.詩篇23篇1節ー6節
2.マタイの福音書6章7節ー13節
3.ローマ人への手紙8章32節ー39節
4.エペソ人への手紙3章12節ー21節

このところ投資詐欺の報道がなされていますが、人をだます人は犯罪人で悪者ですが、パウロは「満ち足りる心をともなう敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」と語ってから「私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。」と騙される原因が欲に、お金を愛することにあることを指摘されるとともに「ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通してました。しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。」とキリスト者が留意すべきことを語っています。お金は必要ですから、お金そのものが問題なのではなく、お金を愛することが問題であることを提示しています。「お金を愛する」ということは「お金があるから、・・・できる」「お金がないから・・・できない」というふうにお金が決定権を持つことにあるのではないでしょうか。今年7月に新会堂の献堂式をされる教会は、継ぎ足し継ぎ足しで雨漏りがする教会で老朽化し、新会堂を建てる必要性がありました。見積もりを建築家の方にお願いしたところ、その建築家の方から「会堂献金はどの位ありますか」と尋ねられたので、牧師先生が「0です」と申し上げると、その建築家の方が「それなら、新会堂は建ちます。教会はお金で建てるのではなく、信仰で建てるものですから。」と言われたことをお聞きしました。満ち足りる心をともなう敬虔さに生きるために、私たちの主は、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方で、必要を満たしてくださる方であることを忘れず、その主を信じる信仰が与えられていることを感謝して生きようではありませんか。