あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。(ヤコブの手紙1章5節)

1.列王記第一3章3節ー12節
2.マタイの福音書7章7節ー11節
3.ローマ人への手紙8章28節ー32節
4.ヤコブの手紙3章13節ー17節

箴言21章30節に「主の前では、どんな知恵も英知もはかりごとも、役に立たない。」とあるように、パリサイ人であった時のパウロは自分の義に生きていた時には自分の考えでキリスト者を迫害していたのですが、キリスト者になったパウロは「十字架のことばは、滅びる至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。それは、こう書いてあるからです。『わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなし口する。』知者はどこにいるのですか、学者はどこにいるのですか。神はこの世の知恵を愚かにされたではありませんか。事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。」と語るとともに「ユダヤ人であってもギリシャ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。」と、神のみこころと神の知恵、すなわちキリストがどのような方なのかを知る者となられたのですが、それは恵みによって与えられたものでした。通常、人は知恵があるかないかを知能指数ではかりやすいものですが、パウロが「彼らは知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、這うもののかたちに似た物と代えてしまいました。」と語っているように、どんなに知能指数が高くても、知恵ある者ではないことを語っています。今日の聖句「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」を心に据えて、堅く信仰に立って生きるために必要な知恵、すなわちこの世が与えることのできない上からの知恵(ヤコブの手紙3章17節)を神からいただいて生きようではありませんか。