あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。(ローマ人への手紙8章15節)

1.マタイの福音書6章7節ー13節
2.ヨハネの福音書1章9節ー15節
3.コリント人への手紙第一2章1節ー12節
4.ヨハネの手紙第一4章1節ー6節

ヨハネは「愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神から出たものです。それによって神からの霊を知りなさい。(ヨハネの手紙第一4章1節ー2節)」と警鐘をならているのは、パウロが「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます。」と、語っているように、この世の神として君臨している悪魔や悪霊の働きと御霊の働きに大きな違いがあるからです。ところで、神を「アバ、父」と呼ぶためには神と親子関係にある必要性があります。ヨハネの福音書1章12節は「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」と、この方、すなわちイエス様を信じることによって神と親子関係が成立することを語っています。イエス様を信じていても恐れや思い煩うようなことに悩まされることがありますが、御霊が深いうめきをもってとりなしていてくださるので、「アバ、父」でなくても「主よ」と、声を出すと、恐れや思い煩いの代わりに「主はすべてをご存知であり、すべてのことを益としてくださる主にご計画がある」という信仰とともに心に安らぎが与えられるのではないでしょうか。ことばをもって祈れないような絶望的な状態に陥っても、神の子とされていることを思い起こし、天を仰ぎ見て「主よ」と呼びかけようではありませんか。