すると彼らはイエスに言った。「私たちは、神のわざを行うために、何をすべきでしょうか。」イエスは答えて言われた。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」(ヨハネの福音書6章28節ー29節)
1.ヨハネの福音書20章24節ー31節
2.コリント人への手紙第一15章3節ー10節
3.ヘブル人への手紙12章2節ー3節
4.ペテロの手紙第一1章18節ー25節
イエス様は「先生。いつここにおいでになりましたか。」と尋ねた群衆に「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満足したからです。なくなる食べ物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子が与えるものです。この人の子を父すなわち神は認証されたからです。」と仰せられたので、彼らが「「私たちは、神のわざを行うために、何をすべきでしょうか。」と尋ねると、イエス様は「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」と答えられてから、ご自身について「わたしは天から下って来たパンである」と言われたことに対してユダヤ人たちは「あれはヨセフの子で、われわれはその父も母も知っている。そのイエスではないか。どうしていま彼は『わたしは天から下って来た』と言うのか。」とつぶやいて、イエス様とイエス様のことばを信じなかったのでした。キリスト者をエルサレムだけでなく国外までも出かけて迫害していたパウロにイエス様はダマスコの途上で「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」と声をかけられ自分の考えが間違ってたことに気づかされ、パウロは、ご自身がキリスト者となったのは行いではなく、神の恵みであること告白しているように、彼がキリスト者になったのはまさしく神のわざでした。私たちもお互いに神のわざによってキリスト者になっただけでなく、イエス様は信仰がなくならないようにペテロのために祈られたように(ルカの福音書22章31節)、私たちのためにも祈っていてくださることを、お互いに主のわざの中に生かされていることを忘れずに感謝し、信仰の創始者であり完成者であるイエス様から目を離さないようにしようではありませんか。