あなたは心のうちで罪人をねたんではならない。ただ主をいつも恐れていよ。確かに終わりがある。あなたの望みは断ち切られることはない。(箴言23章17節)

1.創世記26章12節ー33節
2.詩篇73篇1節ー28節
3.伝道者の書12章13節ー14節
4.テモテへの手紙第一1章17節

ピラトは祭司長、民の長老たちがねたみからイエス様を引き渡したことに気づいていたのですが(マタイの福音書27章18節)、今日の聖句が「あなたは心のうちで罪人をねたんではならない。ただ主をいつも恐れていよ。」と忠告しているように、罪人をねたまず、むしろ十字架につけられたイエス様は「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」ととりなして祈られたのでした。その結果、主と同じように十字架につけられた罪人のひとりは「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と申し上げたので、イエス様は「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と、希望を与えられたのでした。今日の聖句が「確かに終わりがある。あなたの望みは断ち切られることはない。」と語っているように、イエス様は父の御計画をご存じでしたので、ご自身を一粒の麦にたとえられてから「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。父よ。御名の栄光を現してください。」と申し上げると、天から「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。」と声があったように、十字架の死をもって人としての生涯が終わりましたが、主が願われたように復活をもって主の栄光を現され、律法を終わらせてくださり、恵みによって救われるという道を開いてくださったのでした。パウロは「ねたみ」は肉の行いと語っています(ガラテヤ人への手紙5章21節)。パウロが「すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです(ローマ人への手紙3章23節)」と語っているようにキリストを信じる前は罪人であったことを忘れずに人々の救いのために祈ろうではありませんか。