主はこう仰せられる。「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行う者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。ー主の御告げー(エレミヤ書9章23節ー24節)
1.コリント人への手紙第一1章29節ー31節
2.コリント人への手紙第一3章18節ー 21節
3.コリント人への手紙第二10章13節ー17節
4.ピリピ人への手紙3章2節ー9節
今日の聖句は「主はこう仰せられる。『知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行う者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。ー主の御告げー」と、自分を誇るよりも主が喜ばれることは主を知っていること、しかも単に知っているというより、主がどのような方なのかを悟った上で、主を知っていることを誇りに思うように仰せられました。弟子たちは3年半ほどイエス様と寝食をともにし、イエス様を知っておられたはずですが、湖に大暴風が起こり舟が大波をかぶったため弟子たちは恐れて眠っておられたイエス様を起こすと、イエスが風と湖をしかりつけられると大なぎになったので「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」と不思議がったのですが、イエス様が死人の中からよみがえられたとき、聖書とイエス様が言われたことばを信じたのでした(ヨハネの福音書2章22節)。パウロは最も大切なことは十字架の死と復活であることを語り(コリント人への手紙第一15章3節ー4節)、「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っていす。」と、イエス様を知ったこによって今まで自分の誇りとしていたものはキリストに比べればちりあくたのようなもの、と告白したのでした(ピリピ人への手紙3章2節ー8節)。「『誇る者は主を誇れ』と書いてあるとおりです」と語ったパウロと同じように、主は恵みとまことに満ちておられ、十字架の死と復活をもって公義と正義を示された方であることを忘れず、主を知る者としていただいたことを感謝して生きようではありませんか。