起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる。(イザヤ書60章1節ー2節)
1.マタイの福音書5章14節ー16節
2.ヨハネの福音書1章1節ー17節
3.ヨハネの福音書8章1節ー12節
4.ピリピ人への手紙2章13節ー16節
姦淫の場で捕らえられた女性を民衆の真ん中に置いた律法学者やパリサイ人から「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。モーセの律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか」と尋ねられたイエス様が「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」と話されると年長者から始めて民衆はその場から去ったのは自分たちにも罪があることに気がついたのでしょう。イエス様は女性に「わたしもあなたを罪に定めない。今からは決して罪を犯してはなりません。」と仰せられてから律法学者やパリサイ人たちに「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」と仰せられたのですが、彼らは自分の義に生きていたために受け入れることができなかったのでした(ヨハネの福音書8章1節ー13節)。イエス様は「あなたがたは、世界の光です。・・・あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。(マタイの福音書5章14節及び16節)」と仰せられたように、今日の聖句も「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる。」と語っています。私たち自身は世の光ではありませんが、「起きよ」と命じているように、世の光であるイエス様を信じることによって主の栄光を反映しながら世界の光として生きる者とされていることに、イエス様によってこの世の遣わされている存在であることに目覚め、船が暗やみの中を無事に航海できるように光を輝かせている燈台のように、世界の光として輝いて生きるために世の光であるイエス様から目を離さず、いのちのみことばをしっかり握って生きようではありませんか(ピリピ人への手紙2章16節)。