わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネの福音書14章27節)
1.マルコの福音書4章35節ー41節
2.ヨハネの福音書20章19節ー31節
3.ピリピ人への手紙4章6節ー7節
4.ヨハネの手紙第一3章18節ー20節
イエス様は「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」と、弟子たちに、まず、心を騒がせるよりも神とイエス様を信じるように話されてから「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っていたでしょう。あなたがたのために、私は場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたもおらせるためです。わたしの行く道はあなたがたも知っています。」と仰せられたのですが、トマスが「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」と申し上げたので、イエス様は「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」と仰せらてから、「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。」と、約束されてから再び「あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」と、仰せられたのでした。イエス様の平安は嵐の中でも眠ることができるほどのものであり、それはイエス様を信じる信仰によって与えらるものであるために(マルコの福音書4章35節ー41節)、「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです(ヨハネの福音書11章25節)」と仰られたように死さえも恐れるものではないことを話されたように、死に対する平安をこの世は与えることができませんから、この世が与えるものとは違うのです。パウロが「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト。イエスにあって守ってくれます。」と勧めているように祈ろうではありませんか。