知恵のある者のことばは突き棒のようなもの、編集されたものはよく打ちつけられた釘のようなものである。これらはひとりの羊飼いによって与えられた。(伝道者の書12章11節)

1.ヨハネの福音書10章1節ー16節
2.使徒の働き2章22節ー41節
3.コリント人への手紙第一1章18節ー25節
4.ヘブル人への手紙4章12節ー16節

「あなたに何を与えようか。願え。」と主から尋ねられたソロモンは主を愛していたので「善悪を判別してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょう。」と申し上げるとそれは主の御心にかなったので、主は彼に知恵の心と判断する心を与えくださったのでした(列王記第一3章3節ー12節)。ソロモンは神からの知恵をもってこの世の全ての分野を探索した結果「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ、これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。」という結論に至ることができたのは、「ひとりの羊飼いによって与えられた」と告白していますが、それはご自身を「ひとりの牧者となるのです。(ヨハネの福音書10章16節)」と仰せられたイエス様ご自身であり、「知恵のある者のことばは」とは、イエス様のことば、みことばであり、それは「突き棒のようなもの」とは羊を守り、導くために羊飼いが持つ道具であり、「よく打ちつけられた釘」は、物をしっかり支えることができる確かなものであることを語っています。テモテへの手紙第二3章16節「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」を心に据えて、この世の知恵ではなく神の知恵であるキリストに、みことばに生きるようにしようではありませんか。