満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。(テモテへの手紙第一6章6節)

1.詩篇23篇1節ー6節
2.ヨハネの福音書6章32節ー35節
3.コリント人への手紙第二6章1節ー10節
4.ピリピ人への手紙4章8節ー13節

パウロはテモテに「信者である主人を持つ人は、主人が兄弟だからといって軽く見ず、むしろ、ますますよく仕えなさい。なぜなら、その良い奉仕から益を受けるのは信者であり、愛されている人だからです。あなたは、これらのことを教え、また勧めなさい。」と勧めているのは、ヘブル人への手紙6章10節が「神は正しい方であって、あなたがたの行いを忘れず、あなたがたがこれまでも聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないからです。」と語っているからではないでしょうか。その一方で、「違ったことを教え、私たちの主イエス・キリストの健全な教えに同意しない人がいるなら、その人は高慢になっており、何一つ悟らず、疑いをかけたり、ことばの争いをしたりする病気にかかっているのです。そこから、ねたみ、争い、そしり、悪意の疑いが生じ、また、知性が腐ってしまって真理を失った人々、すなわち敬虔を利得の手段と考えている人たちの間には、絶え間のない紛争が生じるのです。」と語ってから、「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」と、単なる敬虔さでも、見掛け倒しの敬虔さでもなく(テモテへの手紙第二3章5節)、満ち足りる心が伴った敬虔さ」と語っています。イエス様が「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。(ヨハネの福音書6章35節)」と仰せられたように、「満ち足りる心」はイエス様との関係によって得られることを心に据えて、お金では買えない、この世が与えることのできない最も大きな利益、すなわち、主を信じる信仰と全生涯の罪の赦し、永遠のいのちが与えられていることを感謝して生きようではありませんか。