わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。わたしのものは、わたしを知っています。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。(ヨハネの福音書10章14節ー15節)

1.エレミヤ書9章23節ー24節
2.ルカの福音書22章31節ー34節
3. ヨハネの福音書1章18節ー34節
4.ヘブル人への手紙5章7節ー10節

イエス様は「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。わたしのものは、わたしを知っています。」と、仰せられてから興味深いことに「それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。」と、仰せられました。父なる神もイエス様も神なので完全な方ですから、お互完全に知っておられ、ヘブル人への手紙5章7節に「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」と語っているようにただ単に知識として知っておられただけでなく、父を信頼してご自身を委ねられたのでした。ところで、イエス様が弟子たちに「あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」と、父とイエス様は一つであることを話されたのですが、ピリポが「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」と申し上げたので、イエス様は「ピリポ、こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』というのですか。わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。」と言われました。イエス様はキリスト者を迫害していたサウロとも呼ばれていたパウロに「サウロ」と呼びかけられたように(使徒の働き9章4節)、私たちひとりひとりの名前はもちろん、私たちの性格も弱さも全て完全に知っておられた上で、私たちを救うためにご自身をお与えくださり神の愛を示されたのでした。落ち込んでいるような時や迷い悩んでいるような時、恐れおののいているような時パウロが「あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方の他は、何も知らないことに決心したからです。(コリント人への手紙第一2章2節)」と語っているように、私たちがどんなにみじめな者であるのかを知っておられながらも愛し、人生を導いてくださっている良い牧者であられる主を深く知るようにしようではありませんか。