二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの頭の髪の毛さえも、みな数えられています。だから恐れることはありません。あなたがたはたくさんの雀よりもすぐれた者です。(マタイの福音書10章29節ー31節)

1.詩篇139篇1節ー6節
2.詩篇145篇8節ー13節
3. ヨハネの福音書10章10節ー18節
4.ローマ人への手紙8章28節ー39節 

神はご自分の民イエスラエルがエジプトで苦しんでいるのをご覧になられ、エジプトから民を解放するためにモーセを召され、数々の奇蹟をもって神の偉大さと主権を現されたので、彼らは主を賛美し主の偉大さを誉めたたえたのですが、約束の地を目の前にしながら、人々が「私たちより先に人を遣わし、私たちのために、その地を探らせよう。私たちの上って行く道や、入っていく町々について、報告を持ち帰らせよう(申命記1章22節)」と言ったので、モーセは約束の地がどのようなものであるのかを聞いてたにもかかわらず(出エジプト記3章8節)彼らの意見に同意して約束の地を探るために神からの助言に従って12部族の族長12人を遣わしたのですが(民数記13章2節)、その地について悪く言いふらし「私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアンク人を見た。私たちは自分たちがいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」と語った者たちのことばを民は信じ、「主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。」と助言したヨシュアとカレブを石で打ち殺そうとし、神と神の約束に対して不信感を抱いでエジプトを懐かしむような過ちを犯したのでした(民数記13章27節ー14章10節)。イエス様は「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものよりも、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」と仰せられてから「二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの頭の髪の毛さえも、みな数えられています。だから恐れることはありません。あなたがたはたくさんの雀よりもすぐれた者です。」と、人を恐れるよりも、私たちのことを私たち以上に、しかも髪の毛の数までもご存知な神の主権を認めて生きるように勧めておられるのではないでしょうか。箴言29章25節が「人を恐れるとわなにかかる。しかし主を信頼する者は守られる。」と語っているように、人を恐れて神の偉大さを忘れ、アナク人に確かめたわけでないのに想像力を働かせて「自分たちがいなごのように見えたろう」と言いふらした人々のように人を恐れるよりも、ヨシュアとカレブのように主の偉大さを忘れずに、主を信頼して生きようではありませんか。