私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。(テモテへの手紙第二2章13節)

1.マタイの福音書16章15節ー21節
2.ヨハネの福音書20章1節ー30節
3. ヨハネの福音書21章15節ー24 節
4.ローマ人への手紙8章28節ー39節

ペテロが「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと。覚悟はできております。」と申しあげると、イエス様は「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」と仰せられたことが現実に起こったのですが、イエス様はそのことが起こる前に「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」とペテロに告げられたように、死からよみがえられたイエス様はペテロやイエス様を見捨てた弟子たちにご自身を現され彼らに「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしするのです。あなたがたもあかしするのです。初めからわたしと一緒にいたからです。(ヨハネの福音書15章26節ー27節)」と、「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」と仰られていたように、五旬節(ペンテコステ)の日に聖霊をお遣わしになられたので、聖霊に満たされたペテロや弟子たちはキリストの証人として生きられたのでした。今日の聖句が「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」と語っているように、主は私たちの弱さをよくご存知で罪に定められないようにとりなして祈っていてくださるだけでなく、すべてのことを益としてくださる信仰の完成者であり真実な方であるイエス様から目を離さないようにしようではありませんか。