すべてのことについて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(テサロニケへの手紙第一5章18節)
1.マタイの福音書26章20節ー30節
2.ローマ人への手紙11章33節ー12章2節
3.ピリピ人への手紙4章6節ー7節
4.コロサイ人への手紙3章9節ー17節
パウロはコリントの聖徒たちに「私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。(コリント人への手紙第一11章1節)」と、パウロ自身がどのようにキリストを見ならって生きているのかを勧めています。イエス様はエルサレムで苦しみを受けるだけでなく殺されるということも全てご存知でありながら(マタイの福音書16章21節)、ゲッセマネの園では「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞこの杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」ともだえ苦しんで祈られましたが、過越の食事の時、 イエス様は感謝をささげてからパンを裂かれ(ルカの福音書22章19節)、杯を取って感謝をささげてから「みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。(マタイの福音書26章27節ー28節)」と、神が望んでおられることを思って(テモテへの手紙第一2章4節)感謝をささげたのでした。パウロは信じられないほどの苦しみを受けましたが、「すべてのことについて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」と勧めているのは、神はどんなことも益としてくださる方であること、キリスト・イエスにある神の愛を知ったことによるのではないでしょうか(ローマ人への手紙8章28節及び38節ー39節)。試練だけでなく私たちの失敗さえも主の御手に委ねるなら益としてくださることを忘れず、詩篇50篇23節が「感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。」と語っているように、時には感謝のいけにえを捧げなくてはならないような時もありますが、今はわからなくても、すべてを益としてくださる主を信頼し、イエス様のことを思ってすべてのことを感謝しようではありませんか。。今週は受難週です。