わたしに聞け。強情な者、正義から遠ざかっている者たちよ。わたしは、わたしの勝利を近づける。それは遠くはない。わたしの救いは遅れることがない。わたしはシオンに救いを与え、イスラエルにわたしの栄光を与える。(イザヤ書46章12節ー13節)
1.伝道者の書3章1節ー11節
2.哀歌3章22節ー26節
3. イザヤ書40章27節ー31節
4.ペテロの手紙第二3章3節ー9節
洗礼を受け水から上がられると神の御霊が鳩のように下り、天から「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」という声を聞かれ、聖霊に満たされたイエス様は、御霊に導かれて荒野で悪魔の試みを受けたのですが(マタイの福音書3章16節ー4章1節)、イエス様はペテロに「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。」と弟子たちがサタンの試みに会うことを預言されてから、ペテロに「しかし、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と(ルカの福音書22章31節ー32節)、イエス様に愛されていてもキリスト者はイエス様同様サタンの試みに会うことを仰せられただけでなく、主は私たちの信仰がなくならないように、立ち直れる時が備えられていることを語ったのでした。今日の聖句に「わたしに聞け。強情な者、正義から遠ざかっている者たちよ。」とあるように、私たちは様々な試みに会うと、ダビデのように「正義から遠ざかっている者」すなわち、主のことを忘れ、自分の考えでなんとかしようとしてしまいますが、(サムエル記第一27章1節)、「わたしに聞け」と仰られ「わたしの勝利を近づける。それは遠くはない。わたしの救いは遅れることがない。わたしはシオンに救いを与え、イスラエルにわたしの栄光を与える。」と、どんな状況にあろうと、不可能なことのない主は勝利や救い、栄光を与えてくださることを語っています。哀歌3章25節ー26節が「主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。主の救いを黙って待つのは良い。」と勧めているように、主の時を待ち望んで生きようではありませんか。