天が地上はるかに高いように。御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。(詩篇103篇11節ー12節)

1.出エジプト記34章6節ー7節
2.サムエル記第二7章8節ー16節
3.ヨハネの福音書1章14節ー17節
4.ヨハネの福音書3章16節ー17節

パウロは自分の義に生きていた時には自分の考えでナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考えて多くの聖徒たちを牢に入れたり、ステパノが殺されるのに賛成したように聖徒たちが殺されるときには賛成の票を投じたり、罰したり、御名を汚すことばを言わせようと強要したり、怒りに燃えてエルサレムだけでなく国外の町々にまで聖徒たちを追跡していたのですが、今日の聖句が「天が地上はるかに高いように。御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。」と語っているように、主は彼を滅ぼすのではなく、使徒として召されたのでした。パウロはキリスト者を迫害するために向かっていたダマスコへの途上で主から声をかけられ、自分の間違いに気づかされたが行なっていたことの間違いを指摘されキリスト者となったパウロはテモテに「私は以前は、神をけがす者、暴力をふるう者でした。それでも信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。私たちの主のこの恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。『キリスト・イエスは、罪人を救うために来られた』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。(テモテへの手紙第一1章13節ー15節)」と告白しています。私たちには記憶力があるので、過去の後悔するようなことを時折思い出してしまい、忘れることができないことがありますが、今日の聖句が語っているように全生涯の罪は十字架で解決済みである恵みどんなに大きいものであるのかを忘れないようにしようではありませんか。