主よ。まことにあなたはいつくしみ深く、赦しに富み、あなたを呼び求めるすべての者に、恵み豊かであられます。(詩篇86篇5節)

1.マタイの福音書18章21節ー27節
2.ヨハネの福音書1章14節及び16節ー17節
3.哀歌3章22節ー25節
4.ヨハネの手紙第一1章5節ー2章2節

ダビデは、主はいつくしみ深く、赦しに富んでおられる方であるだけでなく、すなわちどんな立場にある人でも、人から見下げられているような人でも、男女や年齢を問わず、主はえこひいきするような方ではなく、十字架につけられた主が「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」とりなして祈られると、それまでは十字架にかけられていたふたりの強盗は祭司長たちや律法学者たちと同じようにイエス様をののしっていたのですが(マルコの福音書15章27節ー32節)、そのうちのひとりは「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と悪口を言ったもうひとりの強盗に対して「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしていなかったのだ。」とたしなめてから「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と申し上げると「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と仰られたように、主を呼び求めるすべての人、すなわち主に対する考え方を変える者に恵みを豊かに与えられたのでした。主の赦しは一万タラント(60000000デナリ)、すなわち賃金が一日一デナリ(マタイの福音書マタイ20章9節)とすると約16万4384年分ですから全生涯の罪は赦されているのです。本来人は死後、全生涯の罪が明らかにされそれに対する刑罰、すなわち地獄で永遠に苦しみ続けなくてはならないのですが、イエス様は私たちの身代わりとなって全生涯の罪を負ってくださっただけでなく、今日の聖句が語っているように、今日も罪に定められないようにとりなしていてくださるいつくしみ深く恵みとまことに満ちておられる主に私たちの心を向けて生活するようにしようではありませんか(哀歌3章22節ー25節)。