心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。(箴言3章5節ー6節)

1.サムエル記第二16章5節ー12節
2.哀歌3章22節ー41節
3.ダニエル書4章13節ー37節
4.マタイの福音書10章28節ー30節 

息子アブシャロムが王座を狙って謀反をおこしたためにダビデはエルサレムから逃げたのですが、パフリムまで来るとサウルの家の一族のひとりシムイから石を投げられたり、「出て行け、出て行け。血まみれの男、よこしまな者。主がサウルの家のすべての血をおまえに報いたのだ。サウルに代わって王となったおまえに。主はおまえの息子アブシャロムの手に王位を渡したのだ。今、おまえはわざわいに会うのだ。おまえは血まみれの男だから」と、真実ではないことを並べてのろいのことばを投げかけられたのでしたが、ダビデは「この死に犬めが、王さまをのろってよいものですか。行って、あの首をはねさせてください。」と言ったアビシャイと家来たちに「ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから。たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。」と、アビシャイは感情に任せて行動しようとしましたが、今日の聖句が「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。」と語っていうように主を仰ぎ見たのでした( サムエル記第二16章5節ー12節)。その結果、ダビデがエルサレムに帰還する時、シムイはダビデに自分の語った暴言の赦しを願ったのでした( サムエル記第二19章19節ー10節)。時としてアビシャイのように感情に走ってしまうようなことがありますが、行動を起こす前に私たちの主が主権者であることを、感情に駆られて失敗して自分の心が責めても、主がとりなしていてくださる恵みを思い起こし、ヨハネが勧めているように主の御前に心安らかに生きようではありませんか(ヨハネの手紙第一3章19節ー20節)。