一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。(ローマ人への手紙12章4節ー5節)

1.コリント人への手紙第一3章1節ー8節
2.コリント人への手紙12章4節ー27節
3.エペソ人への手紙4章1節ー16節
4.ペテロの手紙第一4章7節ー11節

パウロは「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。私は自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。(ローマ人への手紙12章2節ー3節)」と、キリスト者はこの世の人々のように、他者と自分を比較して自慢したり、高ぶったりせずに(ヨハネの手紙第一2章へりくだった心をもって信仰生活を営むように勧めているとともに、そいのような生き方をする秘訣として「一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。」と、一つの共同体であることを、しかもその共同体は、パウロが「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。(コリント人への手紙第一6章20節)」と語っているように、個々人が神の栄光を現すものであるために、教会は神の栄光を現す共同体であり、この世の共同体の形態とは全く異なったものであることがわかります。主の願いは自分の力や能力、富を誇るのではなく主を知っていることであることを(エレミヤ書9章23節ー24節)心に据えて、キリスト者各自がからだ意識を持って生きるなら、パウロの「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。(ローマ人への手紙12章15節)」というお勧めを心からすることができるのではないでしょうか。