兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という一言をもって全うされるのです。(ガラテヤ人への手紙5章13節ー14節)

1.ヨハネの福音書15章4節ー17節
2.ローマ人への手紙6章4節ー14節
3.コリント人への手紙第一3章1節ー4節
4.コロサイ人への手紙3章2節ー14節

独裁者が支配している国々においては行動の自由のみならず言論の自由も奪われてしまうため、人々は自由を得るために人間関係において戦っていますが、イエス様はこの世を支配しているサタンに勝利してくださったので、パウロは「兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。」と、キリストを信じることによって人の力では得ることのできない自由が与えられていることと「ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。」と、与えられている自由をどのように使うべきかをも語っています。神はアダムに「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」と自由とともに主のことばに生きるように警告したのでした。しかし、サタンの偽りのことばにつられ、自分にとって好ましいものと思って善悪の知識の木から取って食べたエバは、その実をアダムに渡したのでアダムも食べて罪を犯してしまったために人類に死が臨むことになったのですが、神は罪や死、呪いや自己愛、悪魔の支配から、自由にするために御子イエス様を人としてお遣わしになったのでした。イエス様は十字架上で「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしていのか自分でわからないのです。」と祈られ神の愛を示され、復活をもって生ける希望と助け主である御霊を与えてくださったのでした。パウロが「だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです(コロサイ人への手紙3章13節ー14節)」と勧めているように、主の恵みを無駄にしないように、主がどのように愛してくださっているのかを心に据えて互いに愛し合う、すなわち互いに赦し合いながら生きようではありませんか。