神はわれらの避けどころ、また力。苦しむとき、そこにある助け。(詩篇46篇1節)

1.ヨハネの福音書14章16節ー17節
2.ローマ人への手紙7章15節ー8章3節
3.ローマ人への手紙8章27節ー34節
4.コリント人への手紙第一1章18節ー25節 

モーセの死後、主はヨシュアに「あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。強くあれ、雄々しくあれ、わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならないからだ。」と仰せられてから再び、ただ強く、雄々しくあるように仰られ、三度目には「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」と、約束して励まされたのでした(ヨシュア記1章5節ー9節)。イザヤ書55章11節に「わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」と語っているように主は真実な方ですから、仰られたようにヨシュアの指揮下のもと民は約束の地に入ったのでした。今日の聖句は「神はわれらの避けどころ、また力。苦しむとき、そこにある助け。」と助けを求めているような祈りではなく、神はどのような方であるのかを断言してしています。モーセは約束の地を偵察に行った12人のうち、民に約束の地について悪く言いふらした者たちは、ヨシュアとカレブにように神の偉大さを考慮せず、その地にいたアナク人と自分たちを比較して「私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」と言い神と神の約束に対する不信感を抱かせ不信仰に陥らせたのでした。私たちの感情がどうであろうと、どんな状況下にあっても主は私たちを見捨てることがないばかりか、どんな状況下にあっても共におられ問題を乗り越える力を与え、助け導いてくださる方であることを認め、感謝しようではありませんか。