私たちは、真理に逆らっては何もすることもできないのです。真理のためなら、何でもできるのです。(コリント人への手紙第二13章8節)

1.ヨハネの福音書14章6節及び30節
2.ヨハネの福音書15章4節ー7節
3.使徒の働き4章1節ー31節
4.エペソ人への手紙1章17節ー21節

イエス様は「わたしが道であり、真理であり、いのちです。(ヨハネの福音書14章6節)」と仰せられただけでなくこの世を支配する者はイエス様に対して何もできなことを話されたのでした(ヨハネの福音書14章30節)。イエス様は殺されましたが、死からよみがえられ、この世に勝利されたのでした。サウロとも呼ばれていたパウロはステパノを殺すことに賛成していただけでなく、その後もナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきと考えてエルサレムだけでなくキリスト者を迫害するためにダマスコに向かっていたのですが、その途上で「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ」との声を聞いて「主よ。あなたはどなたですか。」と尋ねると「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起き上がって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたが見たこと、また、これから後わたしがあなたに現れて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである」と言われ(使徒の働き26章9節ー16節)、自分の考えが間違っていたことに気づかされたのでした。彼は突然視力を失ったために人々に手を引いてもらってダマスコに着いたのでした(使徒の働き9章8節)。パウロはご自身の経験から、「私はパウロにつく、私はアポロに」と「私」に「肉」に属して生きているコリントの聖徒たちに(コリント人への手紙第一3章1節ー4節)「私たちは、真理に逆らっては何もすることもできないのです。真理のためなら、何でもできるのです。」と、証しされたのでした。「真理」について聖書はイエス様ご自身であり、神のことばであるみことばであり、聖霊であることを語っています。パウロはコリントの教会を訪ねた時、恐れおののいていましたが、そのような時、彼は十字架につけられイエス様のことだけを思われ、説得力のある知恵のことばではなく御霊と御力によって宣教の働きをされたのでした。パウロのように神の力、神の知恵であり(コリント人への手紙第一1章24節)信仰の完成者であり真理なるイエス様を見上げて生きるようにしようではありませんか。