神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。(ペテロの手紙第二1章3節)

1.エレミヤ書9章23節ー24節
2.ローマ人への手紙5章5節ー21節
3.ヨハネの福音書1章14節ー17節
4.エペソ人への手紙1章17節ー21節

イエス様が弟子たちに「あなたがたは、わたしをだれと言いますか。」と尋ねると、ペテロは「あなたは、生ける神の子キリストです。(マタイの福音書16章16節)」と、またイエス様がご自身のことを「いのちのパン」と仰せられ「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲むものは、永遠のいのちをもっています。」と話されると多くの弟子たちは離れ去ったのですが、弟子たちにイエス様が「まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう。」と尋ねると「主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。私たちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています。(ヨハネの福音書6章54節ー69節)」と告白したのですが、サタンの試みに会うたびにイエス様のことばを打ちけるような事を話したり(マタイの福音書16章21節ー23節)、イエス様の事を三度知らない、と言ってしまったりしたのですが、イエス様はペテロの弱さをご存知で信仰がなくならないようにとりなして祈られたのでした。ペテロ「神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。」と祈られたのは、「私たちをご自身の栄光と徳によって、主イエスの、神の御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。」とその理由を語っています。ヨハネは「口先だけで愛する事をせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。それによって、私たちは、自分が真理に属するものであることを知り、そして、神の御前に心を安らかにされるのです。たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。(ヨハネの手紙第一3章18節ー20節)」と、パウロは「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」と語っています。自分を責めるよりも、神がどのような方なのかを思い起こし、恵みと平安をいただいて生きようではありませんか。