何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ人への手紙4章8節ー9節)

1.ヨハネの福音書16章19節ー33節
2.テサロニケへの手紙第一5章16節ー18節
3.ヘブル人への手紙4章12節ー16節
4.ペテロの手紙第一5章7節ー11節

私たちは、さまざまなことを決断しながら日々生活していますが、決断する時には想像力を働かせ、希望をもって想定した結果に基づくものであって保証がないために、それが良い結果をもたらすかどうか不安になったり思い煩ったりしてしまうのではないでしょうか。しかも思い煩えば思い煩うほど不安が増してしまい、お先真っ暗のように思わされてしまうのではないでしょうか。パウロは迫害され投獄され、悲惨な状態にありながら、しかも処刑されるかもしれない状態にありながらピリピ人への手紙の各章において「喜び」という言葉を見ることができます。彼は「主にあって喜びなさい。もう一度言います喜びなさい。(ピリピ人への手紙4章4節)」と、人々に喜ぶことを勧めることができる秘訣を彼の「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ人への手紙8章28節)」ということばに見ることができるのではないでしょうか。イエス様の「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネの福音書14章27節)」という約束を基にパウロが「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」と勧めているように、祈りや願いを主に申し上げるとき、神はどんなことも益とすることのできる方であることを思い起こし、心と思いが守られるように感情に促されるよりも主を信頼し感謝をもって祈るようにしようではありませんか。