結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。(伝道者の書12章13節ー14節)

1.詩篇94篇1節ー15節
2.ルカの福音書18章1節ー14節
3.ヨハネの福音書5章18節ー29節
4.ペテロの手紙第二3章3節ー10節

神から与えられた知恵の心と判断する心が与えられたソロモンは「悪い行いに対する宣告がすぐ下されないので、人の子らの心は悪を行う思いで満ちている。罪人が、百度悪事を犯しても、長生きしている。しかし私は、神を恐れる者も、神を敬って、しあわせであることを知っている。悪者にはしあわせがない。その生涯を影のように長くすることはできない。彼らは神を敬わないからだ。(伝道者の書8章11節ー13節)」と、悪い行いに対する宣告がすぐに下されない状況があること、しあわせなことは長生きしているかどうかではなく、神を敬っているかどうかにかかっていることを語っています。どうして神は沈黙を守っているのかと思わされることがありますが、エゼキエル書18章23節に「わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。ー神である主の御告げー彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。」とあるように悔い改めることを待っておられるように、エリコの人々にも七日目に城壁がくずれ落ちる前、6日間の猶予が与えられていたのでした。黙示録20章12節に「また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして数々の書物が開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところるに従って、自分の行いに応じてさばかれた。」と、今日の聖句が「神は善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。」と語っているように、主は必ず悪をさばかれますが、イエス様を信じたなら全生涯の罪が取り除かれ、神に罪や過ちをさばかれることなく、かえって称賛が届くのです(コリント人への手紙第一4章5節)。ですから、ソロモンは「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」勧めているのではないでしょうか。救われていることを感謝するとともに人々が主に立ち返るように祈りましょう。