主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」(サムエル記第一16章7節)
1.使徒の働き4章5節ー13節
2.ヨハネの福音書15章16節
3.コリント人への手紙第一1章26節ー29節
4.エペソ人への手紙1章3節ー6節
サウルは勇気のある者や、力ある者を見つけると、その者をみな、召しかかえたのでした(サムエル記第一14章52節)。サウルの手から逃れるためにダビデはペリシテ人のアキシ王のもとに逃げこんだのですが、ダビデあることを知られた彼はアドラムの洞窟に逃げ込み (サムエル記21章10節ー22章2節)「私の叫びに耳を留めてください。私はひどく、おとしめられていますから。どうか、私を迫害する者から救い出してください。彼らは私より強いのです。私のたましいを、牢獄から連れ出し、私があなたの御名に感謝するようにしてください。正しい者たちが私の回りに集まることでしょう。あなたが私に良くしてくださるからです。(詩篇142篇6節ー7節)」と祈られたのですが、今日の聖句が「主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」と語っているようにダビデのもとに集まって来た四百人は、困窮している者、負債のある者、不満のある者たちだったのでしたが、やがて彼らこそイスラエルを救うために働かれた勇者となるとともに、軍の長ヨアブに民の数を数えるように言ったダビデに「あなたの神、主が、この民を今より百倍も増してくださいますように。王さまが、親しくこれをご覧になりますように。ところで、なぜ、ものようなことを望まれるのですか」と進言されたように神がどのような方なのかを知る者となられたのでした。ダビデは神をよく知っておられましたがヨアブと将校たちを説き伏せて数を数えさせたのですが、良心の咎めを受け、全焼のいけにえを捧げたのでした(サムエル記第二24章1節ー25節)。ダビデは完全な人ではなく祭司を騙したり、さまざまな罪を犯しましたが、悔いた心をもっておられ主に立ち返ったのでした。後悔の念を抱くような時、自分を捌いたり、落ち込んだりするのではなく、悔いた心を軽んじない恵みとまことに満ちておられる主に心を向けて生きようではありませんか。