愚か者は自分の道を正しいと思う。しかし知恵のある者は忠告を聞き入れる。(箴言12章15節)

1.サムエル記第一25章2節ー38節
2.箴言16章19節ー22節
3.マタイの福音書5章17節ー20節

詩篇14篇1節と詩篇53篇1節に「愚か者は心の中で『神はいない』と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行なっている。善を行う者はいない。」と、愚か者の特徴は神の存在を認めていないことにある事を指摘していますが、その一方で、今日の聖句が「愚か者は自分の道を正しいと思う。」と語っていゆえに、愚か者は、パリサイ人や律法学者がイエス様の事を「神を冒涜している」と言ったように、神の存在を認めていても自分の義に生きていると、高ぶりの中で他者を見下し、忠告を聞き入れないような人をも示唆しているのではないでしょうか。ソロモンは「あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。(口語訳:あなたは義に過ぎてはならない。また賢きに過ぎてはならない。あなたはどうして自分を滅ぼしてよかろうか。)(伝道者の書7章16節)」と自分こそ正しいというような自分の義に生きないように忠告しています。ヤコブの手紙3章2節が「私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。」と語っているように、完全な人はいませんから、自分では正しいと思っても感情に支配されると冷静さを失って間違いを犯してしまうことがあるのではないでしょうか。ダビデはナバル(頑迷で道徳的に問題のあった人物)の態度に対して憤慨し滅ぼそうとしましたが、主を知っていたアビガイルの忠告を受け入れ「きょう、あなたを私に会わせるために送ってくださったイスラエルの神、主がほめたたえられますように。あなたの判断が、ほめたたえられますように。また、きょう、私が血を流す罪を犯し、私自身の手で復讐しようとしたのをやめさせたあなたに、誉があるように。私をとどめて、あなたに害を加えさせられなかったイスラエルの神は生きておられる。(サムエル記第一25章32節ー34節)」と感謝の意を語ったのでした。感情に駆られてしまうと自分の義に、自分の考えにとらわれ正しい判断ができなくなる可能性があります。そのような時、主の前に静まって、自分に生きているのか主が喜ばれることなのかどうか吟味しようではありませんか。