「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(ルカの福音書2章14節)

1.ヨハネの福音書12章20節ー28節
2.ヨハネの福音書14章1節ー6節及び27節
3.エペソ人への手紙2章1節ー17節
4.コロサイ人への手紙1章15節ー20節 

御使いは羊飼いたちに救い主であるキリストの御降誕を告げてから多くの天の軍勢と一緒に「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」と、神に対しては栄光、人に対しては平和があるようにと賛美したのですが、それを成就されるのがイエス様であることをも告げられたのでした。パウロは栄光について「天上のからだもあり、地上にからだもあり、天上のからだの栄光と地上のからだの栄光とは異なっており、太陽の栄光もあり、月の栄光もあり、星の栄光もあります。個々の星によって栄光が違います。(コリント人への手紙第一15章40節ー41節)」と語っているように、この世が与える栄光もありますが、この世の栄光は一時的なものですが、ペテロの手紙第一5章10節が「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます」と語っているように、神がキリストにあって与えてくださる栄光は天にある神の栄光であり、永遠のものである事を語っています。「地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」ということですが、そのためには、パウロが「神はみここによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、その十字架の血によって平和をつくり、御子によって和解させてくださったのです。」と、イエス様との関係が不可欠であることを語っています。人が死を恐れるのは潜在的に死後、罪や咎を神に裁かれる事を知っているからではないでしょうか。パウロは「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです(ローマ人への手紙6章23節)」と語っているようにイエス・キリストを信じることによって神との平和が与えられ、裁かれることがなく永遠のいのちと永遠の栄光が与えられていることを感謝するとともに人々の救いのために祈りましょう。