人は悪をもって身を堅く立てることはできず、正しい人の根はゆるがない。(箴言12章3節)

1.詩篇37篇1節ー9節
2.詩編73篇1節ー28節
3.コリント人への手紙第一3章10節ー15節
4.ヘブル人への手紙13章7節ー9節

人は悪をもって身を堅く立てることはできないのは、人は死後、各自亡くなるまでの行為や思いまでも吟味されるからです。パウロは「罪の支払う報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです(ローマ人への手紙6章23節)」と語っているように罪の赦しを得ていないとその人の犯した悪がその人を滅ぼしてしまうのですパウロは「すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、値なしに義と認められるのです。神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自分の義を現すためです。と言うのは、今までに犯されて来た罪を神は忍耐をもって見のがして来られたからです。それは、今の時にご自身の義を現すためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。(ローマ人への手紙3章23節ー26節)」と語っているように、正しい人とは、自分の義ではなく、イエス様を信じることによって罪の赦しと神の義をいただいて神との関係が確立されている人であり、根とは、パウロが土台とも語っているイエス様であり、ペテロが三度イエス様を知らないと言うことを事前にご存知であっただけでなく、ペテロのために信仰がなくならないように祈られたように、恵みとまことに満ちておられるイエス様は、私たちを見捨てることなくとりなして祈っていてくださる方であるために、ヨハネの福音書1章16節は「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのです。」と語っています。イエス様のゆえにキリスト者は死後、罪や過ちを神にさばかれることなく、十字架のゆえにかえって称賛が与えられる事を(コリント人への手紙第一5節)感謝して生活しようではありませんか。