雨や雪が降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望むことを成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。(イザヤ書55章10節ー11節)

1.サムエル記第二7章12節ー16節
2. ルカの福音書1章28節ー45節
3.ヨハネの福音書5章19節ー24節
4.ヨハネの福音書12章20節ー28節

主はまず「雨や雪が降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。」と、自然現象について語られてから「そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望むことを成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」と、神のことばは必ず成就するという確かさと保証を語っています。主がアブラハムにサラとの間にひとりの男の子を与えることを話されるとアブラハムは神を信じていましたので、ひれ伏したのですが笑って心の中で「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか。」と、言いましたし(創世記17章15節ー17節)、サラも同じように主がアブラハムに「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻ってきます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている。」と言われたのを聞いたサラは心の中で笑って「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」言ったので、主は「サラはなぜ『私はほんとうに子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに』と言って笑うのか。主に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている」と二度も仰せられ多様にイサクが生まれたのでした。肉が食べたいと言った民に一ヶ月間肉を与えることをモーセに話されたのですが、多くの奇蹟を体験したモーセさえも肉が一ヶ月も与えられることを信じなかったのですが、主はうずらを与えられたのでした(民数記11章18節ー32節)。聖霊に満たされたエリザベツは御使いから告げられたことを受け入れたマリアに対して「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。(ルカの福音書1章45節)」と語っています。アブラハムやサラ、モーセも神を信じていましたが、神のことばを信仰をもって受けることができない弱さがあったように、私たちも自分の考えにとらわれてしまうと同じ事を思いますが、主は私たちの弱さに左右される神ではないことを感謝するとともに、ダビデの子孫が罪を犯しても恵み(英語訳:愛)を取り去ることはないと約束されたことを十字架の死をもって成就してくださったイエス様のことをいつも思うようにしようではありませんか。