どうか悪者の悪があとを絶ち、あなたが正しい者を堅く立てられますように。正しい神は、心と思いを調べられます。(詩篇7篇9節)

1.サムエル記第一16章1節ー13節
2.箴言20章8節ー9節
3.エレミヤ書17章9節ー10節
4.ローマ人への手紙7章18節ー8章 

サウロとも呼ばれていたパウロはキリストを信じる信仰によって与えらえる神の義を知らずに、律法による自分の義に生きキリスト者を迫害していたのですが、キリスト者を迫害するために向かっていたダマスコへの途上でイエス様から声をかけられ、キリスト者になり聖霊に満たされたパウロは「私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見出すのです。すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょう。」と、心の葛藤を覚えましたが、「キリスト・イエスにある者が罪に定められることはない。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」と解決をキリストに見出したのでした(ローマ人への手紙7章21節ー8章2節)。今日の聖句は「どうか悪者の悪があとを絶ち、あなたが正しい者を堅く立てられますように。」と、悪者に関することと対照的に正しい者のあるべき姿を語ってから「正しい神は、心と思いを調べられます。」と神がどのような方であるかをも語っています。パウロはキリスト者になって神がどのような方なにかを知る者とされただけでなく、彼に与えられた使命について「私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人を、聖霊によって聖なるものとされた、神に受け入れられる供え物とするものです。(ローマ人への手紙15章16節)」と、ヘブル人への手紙10章22節が「私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」と勧めているように、悪から解放される道を語っています。十字架の主を、贖われていることを、聖なる者とされていることを忘れずに生きようではありませんか。