私が見いだした次の事だけに目を留めよ。神は人を正しい者に造られたが、人は多くの理屈を捜し求めたのだ。(伝道者の書7章29節)

1.創世記3章1節ー13節
2.イザヤ書53章1節ー8節
3.コリント人への手紙第二5章7節ー17節
4.ペテロの手紙第一2章22節ー25節

このところ自民党の裏金問題に関わっている幹部の方々の報道されている発言を聞きながら、この世のさまざまな分野を探索した結果、人はどのような者であるのかを悟られたソロモンの「私が見いだした次の事だけに目を留めよ。神は人を正しい者に造られたが、人は多くの理屈を捜し求めたのだ。」を思い起こしました。確かに神は人をご自分のかたちに創造したのですが、「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。(創世記2章17節)」という神の警告を直接聞いていなかったエバは「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」と神の警告を完全に否定していかにも本当の理由は死ぬからではない、というサタンの偽りのことばを信じて食べてから、エバはそばにいたアダムに与えたのでアダムも食べて罪を犯し、神からその事を指摘されると、アダムもエバも食べた事を謝罪せず、アダムは「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」と神とエバのせいにし、エバも「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」と、二人とも理屈を言って自己責任を回避したのでした。その根底には神よりも自分を愛する心の在り方、自己中心の罪の問題があるのではないでしょうか。パウロが「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。(ローマ人への手紙3章23節ー24節)」と語っているように、イエス様を信じるなら義の衣が与えられ、神に受け入れられる者に変えられるだけでなく、平安な義の実を結ぶように育てられるのです(ヘブル人への手紙12章11節)。自分の欲に支配され、言い訳けをしながら罪の解決を持たないような人生から、罪や死から解放してくださる主を知ることができるように、政治家の皆様はじめすべての人に福音が届くように祈ろうではありませんか。