人の道は主の目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を配っておられる。(箴言5章21節)

1.申命記1章19節ー23節
2.ヨシュア記3章1節ー4節
3.ヨハネの福音書10章11節ー16節
4.ローマ人への手紙8章28節ー39節

ヨハネの福音書1章18節が「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられる一人この神が、神を解き明かされたのである。」と、イエス様が「わたしを見た者は、父を見たのです。(ヨハネの福音書14章9節)」とおおせられたように、神がどのような方であるのかを知るためにイエス様を見る以外に道がないことを語っています。イエス様は背が低いためにいちじくの木登っていた取税人のかしらで金持ちであったザアカイに「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしているから。」と言われると、人々は「あの方は罪人のところに行って客となられた。」とつぶやいたのですが、ザアカイは、急いで降りて来て、大喜びでイエス様を迎え、「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」と申し上げると、イエス様が「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。(ルカの福音書19章1節ー10節)」と仰せられたように、主はザアカイの人生に何が必要なのかを知っておられただけでなく、彼がどのような事をされるかをもご存知であったのではないでしょうか。人は誰でも自分を愛し、欲に支配されてしまうと、神や他の人のことを考慮しないで多くの失敗をしてしまいますが、今日の聖句が「人の道は主の目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を配っておられる。」と、ペテロが「あなた方の思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。(ペテロの手紙第一5章7節)」と語っているように、どんな時にも見放さずにとりなしていてくださるだけでなく、後悔するような失敗さえも益としてくださる主を信頼して生きようではありませんか。