神、その道は完全。主のみことば純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。まことに、主のほかにだれが神であろうか。この神こそ、私に力を帯びさせて私の道を完全にされる(詩篇18篇30節ー32節)

1.箴言30章5節ー6節
2.イザヤ書55章6節ー11節
3.エペソ人への手紙6章10節ー17節
4.ペテロの手紙第一1章23節ー2章10節

パウロは「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。」と勧めてから、腰には真理の帯、胸には正義の胸当て、足には平和の福音の備えをはいた上で「これらすべてのものの上に、信仰の大楯をとりなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。(エペソ人への手紙6章12節ー17節)」と、目に見えない霊的戦いがあること、すなわちイエス様を試みたように悪魔の試みを受けることを語るとともにそのために備えるべき武具を具体的に語っていますが、それらの武器のみならずヘブル人への手紙12章2節が「信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」と勧めているように、信仰もすべて神がキリストにあって備えてくださったものです。サタンの働きは神との関係よりも人間関係を第一にするように仕向けてくるのですが(マタイの福音書16章23節)、今日の聖句は「神、その道は完全。主のみことば純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。まことに、主のほかにだれが神であろうか。」と語っています。パウロは神の武具の中で「御霊が与える剣である神のことばを受け取りなさい。」と勧めていたのは、剣は防御のためだけでなく攻撃する武器でもあり、サタンの試みにイエス様がみことばによって対処したことによって悪魔は勝利することができなかったように、みことば完全であり力があり、致命傷を与えることができる力を持っているからではないでしょうか。日々、主がどのような方であるのかを忘れずに、主の道は完全であるだけでなく、すべてのことを働かせて益としてくださり私たちの道をも完全にしてくださる事を心に据えて、真理のみことばをしっかりに握って、力を与えてくださる主を信頼して歩もうではありませんか。