まことに主は大いなる方、大いに賛美されるべき方。すべての神々にまさって恐れられる方だ。まことに、国々の民の神々はみな、むなしい。しかし主は天をお造りになった。(詩篇96篇4節ー5節)

1.イザヤ書44章6節ー23節
2.ヨハネの福音書5章39節ー44節
3.ローマ人への手紙1章16節ー32節
4.コリント人への手紙第一8章1節ー6節

イスラエルの民はエジプトにおいて多くの奇蹟を体験しただけでなく後方からはエジプト軍、前方には紅海と四面楚歌のような絶望状態において、驚くべきことに神は紅海を二つにわけただくてイスラエルの民にエジプト軍の間に御使いをおいてエジプト軍から民を守っただけでなく、民が対岸に渡り終えると海水を元に戻したので、エジプト軍がひとり残らず溺死したのを見たモーセと民は「主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私の救いとなられた。この方こそ、わが神。私はこの方をほめたたえる。私の父の神。この方を私はあがめる。主はいくさびと。その御名は主。・・主よ。神々のうち、だれかあなたのような方があるでしょうか。だれがあなたのように、聖であって力強く、たたえられつつ恐れられ、奇しいわざを行うことができましょうか。」と賛美したのですが(出エジプト記15章2節ー3節及び11節)、パウロが「彼らは自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。(ローマ人への手紙1章22節ー23節)」と語っているように、モーセが山から降りて来るのに手間取っているのを見た民はアロンに「さあ、私たちに先立って行く神を、造ってください。私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったか、私たちにはわからないから。」と頼みんだので、アロンは民の持っていた金のイヤリングで金の子牛を作って偶像崇拝に走ってしまったのでした。今日の聖句が「まことに主は大いなる方、大いに賛美されるべき方。すべての神々にまさって恐れられる方だ。まことに、国々の民の神々はみな、むなしい。しかし主は天をお造りになった。」と語っているように、神がどのような方であるかを忘れずに主を誉めたたえると共に、むなしい信仰に走っている人々が天地万物を創造された神に立ち返るように祈ろうではありませんか。