わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。(ヨハネの福音書10章14節)

1.詩篇139篇1節ー10節
2.マタイの福音書16章13節ー16節
3.マルコの福音書4章35節ー41節
4.ヨハネの福音書6章53節ー71節

人はとかく自分のことは自分が一番よくわかっている、と思いがちであり、箴言27章1節が「あすのことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないからだ。」と、語っているようにいつ何が起こるかを見通すことができない弱さを抱えているにも関わらず、自分にとって何が最善かを自分で判断して物事を決断しながら生活しているいのではないでしょうか。ところで箴言16章1節ー2節は「人は心に計画を持つ。主はその舌に答えをくださる。人は自分の行いが純粋だと思う。しかし、主は人のたましいの値打ちをはかられる。あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。」と、人生の保証は主を認めることにあることを語っています。なぜなら、今日の聖句が「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。」と、パウロが「神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによって自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました(エペソ人への手紙1章4節ー5節)」と語っているように、驚くべきことに、人は母の胎に宿る前から神に、イエス様に知られている存在なのです。ところで、あれほど用いられたモーセでさえも主が肉を一ヶ月与えてくださることを言われたのに「無理でしょう。」というようなことを主に申し上げたように、多くの奇蹟を目にした弟子たちも風を沈めたイエス様のことを「いったいこの方はどういう方なのだろう(マルコの福音書4章41節)」と不思議がったように、イエス様は「また、わたしのものは、わたしを知っています。」と言われたように、イエス様がどのような方であるのかを知ってはいますが、主が私たちを知っている程度と異なっていることを心に据えて、どんな時にもすべてのことをご存じで益としてくださる主を信頼して生きようではありませんか。