人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。しかし主は人たましいの値うちをはかられる。あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。(箴言16章2節ー3節)

1.詩篇37篇1節ー6節
2.箴言3章5節ー7節
3.コリント人への手紙第一4章4節ー5節
4.ヤコブの手紙4章13節ー15節

イエス様は群衆に「律法学者、パリサイ人たちは、モーセの座を占めています。ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行い、守りなさい。けれども、彼らの行いをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです。(マタイの福音書23章1節ー3節)」と話されてから、今日の聖句が「人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。しかし主は人たましいの値うちをはかられる。」と語っているように、自分の義に生き、イエス様を敵視していた律法学者やパリサイ人たちに対して「わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいです。そのように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。(マタイの福音書23章27節ー28節)」と、手厳しく言われたのでした。キリスト者になる前、パウロもそうでしたが、人はとかく自分の義に生きていると自分の行いは純粋だと思い込みがちですが、詩篇18篇30節が「神、その道は完全。主のみことばは純粋。」と語っているように、完全な道は神の道であり、本当に純粋なのはみことばでさることを心に据えて、今日の聖句が「あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。」と勧めているように、自分の考えに固執しないで、主に委ねる、すなわち、神は私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方であることを(エペソ人への手紙3章20節)、結果は主の御手の中にあることを感謝して生きようではありませんか。